その後、何度内診しても、赤ちゃんは下がってきてるのに子宮口が開かない。
陣痛時、一時的に赤ちゃんの心拍がガクッと落ちることがあり、腹のモニターつけっぱなしで身動きもそんなに取れない。
しかも、かなり下がっている赤ちゃんの頭の圧迫が加わり陣痛も強い。
その状態で夜まで耐えた時点でなんと陣痛が遠のき、先生の「これは明日になるね」という一言に心が折れる。
今までの痛みは何だったのか、そしていつまで続くのか。
終わりの見えない激痛がこんなに辛いなんて、痛みはもちろん精神的にも参ってきた夜。
助産師さんたちはそれを察し、「少しずつだけど進んでるから」と励まし続けてくれ、
「赤ちゃんもこの状態で耐えて、一生懸命生きてるよ」と途切れない心拍を確かめる。
深夜になると更に赤ちゃんが下がって痛みは増し、骨盤と恥骨が内側から粉砕されるような苦しみがプラスされる。
もうこの頃になると、旦那の腕をつかみ「いつまで続くの?」「もうこれ以上頑張れない」と訴える。
訴えたところで旦那がどーにか出来るはずもなく、数分おきの陣痛が来るたびテニスボールで腰を押してもらい必死で深呼吸。
でもあまりの痛みに耐えきれず、泣き叫んでしまう。
18日朝7時すぎ、この痛みはもう人体の限界だと本能で感じ、自分でナースコール。
必死過ぎて何て言ったか覚えてないけど、内診してもらうと何と子宮口9センチ開大。
助産師さんもびっくりして、すぐに分娩の用意へ。
息も絶え絶え、「もう終わりますか・・・」と聞くと、「うん、ここまでくればもうすぐだよ!」という一言に力をもらい、自力で分娩台へ。
分娩台に上がった途端、強い「何かが出てくる」感覚。
「もう少し呼吸で逃して!」と言われても、体が勝手にいきむ。
押さえてもらわないと出てしまう、旦那に訴えてボールで強く押さえてもらう。
あのテニスボールがなかったら、どうなってたんだろう・・・
さらにここで、出産に立ち会う助産師見習いの学生が耳元で自己紹介を始める。
「どう考えても名前覚えれる状況じゃねーだろ」と思いつつ、頷いてあげる。
しばらくすると更に強いいきみ感を抑えられず、とうとう破水。
同時に赤ちゃんの頭も出てきてしまい、助産師さん達は相当バタバタしていたらしい。
ここまでくるともう自分の意思で産むのではなく、抗えない生命のダイナミズムに飲み込まれるというか、赤んぼ自身の産まれようという力に逆らえない。
自分にこんな叫び声が出せたのか、と自分でもびっくりするような声が響く。
とてつもなく大きなものが、股が裂かれるような痛みとともに引っかかりながらゆっくり出てきて
「ほら、下を見て!!赤ちゃんだよ!」と言われて見ると、
Majiで小っこい人間が出てきとる!!
「おめでとうございまーす」の声とハッピーバースデーが流れ、いつの間にか来てた先生が視界に入る。
・・・間に合ってなくねぇ?と思い、後から旦那に聞くと「頭が出てから来た」そうです。
旦那号泣、私は150%「やっと終わった」という安堵感のみ。
赤ちゃんを胸の上に置かれましたが、大して覚えてない。
出産、終了。
因みに「産んだら痛みは忘れる」と言いますが、個人的には忘れてません。
かかった時間・精神的な辛さなど総合的に考えると、尿道結石のほうがマシでした。
陣痛はともかく分娩に関しては、忘れるというより、人間が記憶できるキャパを超えてると言った方が的確。
必死すぎて我を忘れてるから、記憶に残らない感じ。
…これから出産を控えている人には、脅かすような内容になって申し訳ないです。
でもこれはあくまでも私の体得話であって、お産というのは十人十色です。
どうか、素晴らしい体験になりますよう。
今はまだ小さなこの人間、これから自分にとってどんな存在になるのか。
何もかも、始まったばかり。
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